読む、観る、聴く

大好きな本や映画、音楽について書いてます

「三体」 劉慈欣 著 は新感覚のSF

話題になってます。

 

本屋に行くと平積みにされるのを見るし、

Amazonも僕にしょっちゅうレコメンドしてきます。

 

三体。

 

中国の作家が書いたSF小説です。

 

作者の名前はなんて読むのでしょう。

 

僕はSFを熱心に読む方ではないのですが

それでもSFを楽しむことができるタイプだと

思います。

 

例えば「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか」や

「1984」なんかはのめり込んで読みました。

 

日本のものでいえば星新一は中高生の時に

熱中して、「時をかける少女」や「新世界」なんかも

楽しみました。

 

他にもアニメやゲームではSFが好きです。

 

Steins Gateとか寝る間を惜しんでプレイしました。

 

といっても本当のSF好きな方からすれば浅い遍歴

でしょう。

 

でも浅い経歴の私が言っても信用できない

かもしれませんが「三体」は新しい風が吹いてます。

 

「三体」の世界ではもう一つの文明惑星という

ものが出てきます。

 

その世界では太陽が三つあり、その予測不能

動きと大気のめまぐるしい変化で世界が翻弄されます。

 

惑星が三つあるとき、それぞれの動きを予想する

ことが極めて困難であることを三体問題と言います。

 

そのためもう一つの文明惑星(三体文明)では

異常な熱波や寒気を予想できずに多くの文明が

滅びていきます。

 

彼らから見ると太陽が一つしかない地球という

惑星、穏やかな気候の惑星が天国のように

見えるわけです。

 

三体文明が地球という星を見つけたことが

この物語の根っこにあります。

 

なんとなく宇宙戦艦ヤマトを思い出させます。

 

それでは三体文明が一気に地球に侵略に来る

のか、というとそうでもないです。

 

しかし色々な方法で地球人にアプローチして

きます。

 

その方法も面白いので、ぜひ読んでいただきたいです。

 

僕は思いもがけずこの「三体」を一気に読んだのですが

その秘密はゲームにあります。

 

僕たちが暇な時間を楽しむために遊ぶゲームです。

 

テレビゲーム。

 

その普通じゃなさが気になる方は

いますぐAmazonで1Clickで購入を押して

読んでみてください。

 

やめられない、止まらない。

村上春樹の「アフターダーク」を十数年ぶりに読んだ

誰にはばかることもなく「私はハルキストである」

と自信を持って言える。

 

多分。

 

ハルキストとは村上春樹の熱烈なファンのことをいう。

 

僕は中学生の頃に「ノルウェーの森」読んで

以来ずっと村上春樹の小説に触れてきた。

 

高校1年生のときに「海辺のカフカ」を読んで

高校2年生のときに「アフターダーク」を読んだ。

 

あの頃は村上春樹の創作ペースは随分早かったのだと

今、振り返ると思う。

 

アフターダーク」以外の作品は相当なんども

しつこく読んだ。

 

ノルウェーの森」は10回は読んだし、

僕と鼠の一連の中編・長編は4回通しは読んだ。

 

だけど「アフターダーク」は高校生の頃に一度読んだ

きり、今まで手をつけなかった。

 

そこになんの疑問もなかったのだが、

この度再読してみて、この謎に思い立った。

 

と同時に理由もはっきりした。

 

多分、高校生の頃の僕は、他の村上春樹作品と

比べて「アフターダーク」に違和感を感じたのだろう。

 

違和感の1番の呼び水となったのは

物語の語りかたに寄るところが大きい。

 

物語は様々は目線で語られる。

 

一つはそれぞれの登場人物の目線。

 

もう一つは読者も巻き込んだ私たちの目線。

 

私たちの目線というのが違和感の正体だ。

 

語り手が常に読者も巻き込みながら主観を交えて

語る。

 

例えば

 

"私たちの視点としてのカメラは、そのあともしばらく

洗面所に留まり、部屋の内部を映し続けている。”

 

とか

 

"ホテル「アルファヴィル」の事務所。カオルが不機嫌そう

顔つきでパソコンの前に座っている。液晶モニターには、

入り口の防犯カメラの撮った映像が映っている。クリアな

映像だ。"

 

なんとなく芝居の台本みたいな語りに違和感を感じる。

 

思うことは「この語り口はどんな効果を狙って

書かれたのか」ということだ。

 

すぐ思いつくのは「読者を物語に巻き込み

たいから」という意見。

 

「私たち」という単語や、私たちのカメラ

の目線を意識させる描写があることで、必然

的に読者が物語を主体的に見てるように感じさせる。

 

少し深く考えていく。

 

すると読者を巻き込んだ話者も、登場人物も

読書も一緒くたに感じられてくる。

 

私たちが集合的無意識で繋がっているような

気がしてくる。

 

ジャズトロンボーンをやる男性が話の中で

 

”二つの世界を隔てる壁なんてものは、実際には

存在しないのかもしれないぞって。”

 

というシーンがある。

 

この言葉が闇と光、他人と自分、日常と非日常の

壁なんて実はないんだ、と言っているような

気がしてくる。

 

これは「ノルウェーの森」の

 

”死は生の対極にとしてではなく、生の

一部として存在している”

 

という言葉とも関連を感じさせる。

 

アフターダークまで村上春樹は度々「異世界

のことを描いてきた。

 

例えば「ねじまき鳥クロニクル」井戸の底

の世界を。

 

ダンス・ダンス・ダンス」では死後の世界

と現在を羊男が繋いだ。

 

海辺のカフカ」でも森の向こうを抜けて

第二次世界大戦ごろの世界と接続した。

 

でもこの「異世界」たちは読者からは

あまりに遠くて本の中の世界でしかなかった。

 

だから村上春樹は「アフターダーク」で異世界

夜という明るい世界の延長線に描いた。

 

そして私たちの目線を使うことで、異世界

我々の世界の一部であることを強く感じさせよう

としたのではないか。

 

以上が、私が「アフターダーク」の奇妙な語り口

について考えたことだ。

 

この語り口が狙いの効果を発揮したのかはわからない。

 

少なくとも僕にはザラザラとした手触りの

異物として映った。

 

しかし登場人物同士の会話は今までの

作品以上に面白かった。

 

また10年くらい経ったら読んでみたい。

「罪の声」 塩田武士 著 がすごかった

「罪の声」という本を読んだ。

 

塩田武士さんが書いた本で森永グリコ事件を

題材にしている。

 

タイトルの意味は読みはじめて5分くらいで

わかる

 

ああ、それは罪の声やなってなる。

 

実は森永グリコ事件のことは全く知らない。

 

読んでいる途中に「ああ、これって

俗にいう森永グリコ事件だ」と気づいた。

 

小説に登場する架空の製菓メーカーがある。

 

名前をギンガといい、ギンガには両手をあげた

陸上選手のような看板が道頓堀にあるという。

 

もろグリコだ。

 

すぐに今まで聞いたことはあったが、内容を全く

知らなかった「森永グリコ事件」を調べた。

 

小説の中で語られる事件とまるで同じだ。

 

もちろん固有名詞などは違う。

 

そこで読後、ネットでレビューや紹介記事など

探したところ、今ある森永グリコ事件の資料や

証拠などをあたって作ったフィクションだという。

 

まるでフィクションだとは信じられなかった。

 

登場人物の一人、新聞記者の阿久津英士が

一つずつ現場にいって、聞き込みをして

推理を展開していくシーンは現実味がある。

 

見てきたものを書いたみたいだ。

 

また丁寧に伏線を回収していくところもいい。

 

あの人物がここで活躍するなんてと思わされる。

 

年の瀬にいい読書ができた。

 

そういえば映画化もするらしい。

宮本常一 著 「忘れられた日本人」を忘れるな

2年前、周防大島に行った。

 

山口県の小さな島だ。

 

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島の展望台より

 

柳井から大島大橋を渡るとそこが周防大島だ。

 

車で走って1時間もかからずに一周できる小さな島。

 

大島大橋は昨今、貨物船が衝突したことでも

ニュースで名前が知られている。

 

宮本常一周防大島の出身だ。

 

島には宮本常一を記念したミュージアムもある。

 

あいにく滞在したときには立ち寄れなかった。

 

同行者が誰も民俗学などに興味もなかったのだ。

 

さて民俗学

 

宮本常一とは民俗学の学者である。

 

民俗学とは自分たちの生活の成り立ちを知ろう

とする学問だ。

 

例えばお盆の習慣がどうやってできたか。

 

山岳信仰がどうやって栄えたか。

 

東海道とはどういう道だったか。

 

私たちが立っている地面がどんな過去と

繋がっているかを調べる。

 

私たちが普段やっていることが昔のどんな

生活と繋がっているかを掘り下げる。

 

では我々は我々のルーツをどうやって探れば

いいのだろうか。

 

一つには文字がある。

 

古い資料を探して、解読する。

 

例えば魚の取れ高を何十年も記録している巻物がある。

 

それを調べる。

 

宮本常一の「忘れらた日本人」という本には

そんなシーンも出てくる。

 

しかし「忘れられた日本人」で宮本が日本人の

なんたるかを探った方法は古文書がメインではない。

 

聞いたのだ。

 

宮本は自分の足で歩いて、各地で人に直接話を

聞いたのだ。

 

それぞれの部落にいる伝承者たち、一人一人に

話を聞いてきた。

 

他にも乞食や瞽にも平気で話を聞いた。

 

話を聞くために日本中を歩き回ったのだ。

 

そういう旅ができた時代でもあった。

 

宮本がどのように日本を歩いたのか、どのように

人に話を聞いていったのかがあとがきに書かれている。

 

だから先にあとがきを読んで、それぞれの話を

読んでいくことをオススメする。

 

私が好きなのは土佐源氏という話だ。

 

日本人の性の捉え方がよく書かれていて

面白い。

「俺か、俺以外か。ローランドという生き方」 ローランド 著

売れてるみたいです。

 

本屋でもAmazonでもランキング上位に

食い込んでました。

 

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ローランドの「俺か、俺以外か。ローランドという

生き方」。

 

タイトルが強烈ですね。

 

世界はその人の思う通りにできているという

ことの、いい例を知ることができます。

 

ローランドさんとはそもそも誰なんでしょう。

 

私は読むまで知りませんでした。

 

日本最高のホストであり、そして実業家だそうです。

 

あ、もうホストは引退したのかな。

 

高校まではプロのサッカー選手を目指していました。

 

帝京高校で活躍するも夢やぶれ、大学進学。

 

しかし入学式で「ここは自分の居場所じゃない」と

気づき、即自主退学。

 

そしてホストの道に進みました。

 

それからは過酷な下積みホスト時代を過ごすも

大ブレイク。

 

日本でナンバーワンのホストにまで登りつめました。

 

ホストとして絶頂である時期に引退を表明し、

実業の世界へ勝負に出たそうです。

 

そのローランドの名言をまとめて、本人が解説を

書いたのが「俺か、俺以外か。ローランドという生き方」

という本です。

 

代表的な名言が「俺か、俺以外か。」という

このタイトルの通りの言葉です。

 

ちなみに「世の中には二種類の男しかいない」

という言葉が前につきます。

 

自分が特別であることを確信している言葉ですね。

 

本を読みながらローランドの生き方、考え方を

知ると成功者ってのは自分を超肯定的に捉えてる

んだと知りました。

 

どんな成功者も同じ気がします。

 

私の知り合いでアパレルの会社を立ち上げて

店を持つことなくAmazonとメルカリだけで

売っている青年も同じです。

 

自分がスーパーヒーローだと思ってます。

 

ローランドと同じ考えを持てとは思わないけど、

成功者が己をどう捉えているか知るにはいい本です。

 

今度、弟に勧めてみます。

森見登美彦の『ペンギンハイウェイ』の映画版を観た

原作は4、5年前に読んだので筋は全く覚えていない。

 

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ペンギンハイウェイと聞いて思い出したのは

お姉さんとお姉さんのおっぱいが気になる少年の

ことだけだ。

 

とにかくおっぱいという言葉が頭に残る。

 

ペンギンハイウェイは森見登美彦の書いた

小説で、小説をもとにしたアニメーション映画が

2018年に公開された。

 

そのアニメーションを観た。

 

ちょっと重めの風邪をひいて何をする気もなく

布団の中でIphoneで観た。

 

好きか嫌いかと言われれば好きだが、とてつもなく

好きではない。

 

心に波乱が起きない。

 

そんな作品だ。

 

原作の小説を読んだときも同じように感じた。

 

面白いのだが、どこかうまく入っていけない。

 

個人的には森見登美彦の作品(と言っても読んだの

四畳半神話大系太陽の塔、夜行、夜は短し歩けよ乙女

有頂天家族だけだが)は、登場人物が深掘りされていない

と思う。

 

というか敢えてしてないのか。

 

キャラクターが記号化されすぎていて、うまく感情

移入できないが、それが森見登美彦の作品の味でも

ある気がする。

 

ペンギンハイウェイで言えば主人公である少年

アオヤマ君はどう考えてもこんな少年いないよ

って感じさせる。

 

例えば毎日ノートに自分の様々な研究の記録を

つけたり、チェスをしたり、おっぱいが無性に

気になって冷静におっぱいのなんたるかを追求したり。

 

お姉さんも始終お姉さんで名前が出てこない。

 

村上春樹が小説で語り手に名前がない僕を使うのは

読み手を物語に没入させる効果があると思う。

 

しかしヒロインである女性をお姉さんという

呼び名で通すのは、私にとっては物語から

距離を取られたようで少し残念に感じる。

 

もっとアオヤマくんの目線になってお姉さんの

おっぱいについて真剣に想像を膨らませたかった。

 

純粋な好奇心として。

 

登場人物との距離感という点では映画は違う。

 

実際にキャラクターが絵で動いて、お姉さんは

私の大好きな蒼井優が声をあてていて、

どうしてもお姉さんの異常を信じたくない自分がいた。

 

しかしもう一つの問題は物語があまりにも説明を

省きすぎていること。

 

森見登美彦といえば華麗なるご都合主義が一つの

味だが、それでもペンギンハイウェイではやりすぎ

が否めない。

 

どうしても展開に頭がついていかない。

 

アニメーションになると映像に迫力があって

見所もあるが、それでも置いてけぼりにされる。

 

自然と熱も冷めてくる。

 

面白い映画だと思うんだけど、その辺りが

欲求不満なのだ。

 

でもこれだけ不満が出てくるのに「好きか

嫌いか」と言われれば「好き」というだろう。

 

あまりにも距離があるヒロインへの感情は

通勤電車で毎日見る、名前も知らない美しい

女性を見てる喜びと近い。

 

だからどうしても森見登美彦の作品は読んで

しまうのだ。

 

さて年末だし、図書館に行ってペンギンハイウェイを

借りてこよう。

 

Claudio Roditiの「Impressions」をヘビロテ中

有料の聴き放題サービスがやめられない。

 

というかなくなったら生きていけないくらい

依存している。

 

特にIphoneAirPods proとApple Musicが

なくなったら人生の面白みが4割減る。

 

そのくらい依存して生きている。

 

毎日24時間再生しても全アルバム再生

できないくらいの楽曲がある。

 

おそらく。

 

だからどんなアルバムを聴くかは非常に重要だ。

 

朝起きてどのアルバムを選ぶかが一日を左右する。

 

Apple MusicのAIに頼ったり、自分で検索したり

して選ぶ。

 

時々、思いがけないところから知らない

ミュージシャンを探し出すことがある。

 

それが最近ヘビロテで聴いているClaudio Roditiだ。

 

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ちなみにジャンルはJAZZでRoditiはトランペッターだ。

 

ブラジル出身のトランペッターでなぜかドイツで

よく吹かれるロータリー型の楽器を使っている。

 

そして1995年にボサノヴァのアルバムでグラミーも

取っている。

 

おそらく日本ではあまり認知度が高くない。

 

なぜなら日本語のウィキペディアがないのだ。

 

だから今まで全く知らなかったのだが、ある日

Apple MusicでAppleの優秀なAIがオススメして

くれた。

 

今、ヘビロテで聴いているのはImpressionsという

アルバムだ。

 

ジャズのスタンダードナンバーが中心の選曲で

編成もよくあるジャズのクインテットでトランペット

ピアノ、ドラム、アルトサックス、ベースの五人だ。

 

バップスタイルの演奏だが音使いに現代っぽさを

感じさせる。

 

あいにく私にはリズムかハーモニーか、それとも

アドリブで選択するスケールが現代らしいのかは

わからない。

 

でも新しい響きと軽快さがある。

 

またRoditiのトランペットはやはり楽器が

ロータリー式だからか独特な響きがある。

 

Roditiのアルバムのように響くトランペットの

音色を私はほとんど知らない。

 

もしあなたクラシックなスタイルのジャズが好き

なら一度聴いてほしい。

 

 

You TubeでRoditiの名前を検索してもいいし、

 Apple Musicで探すのもいい。

 

今までにない音のうねりを聴き取ることが

できるはずだ。