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森見登美彦の『ペンギンハイウェイ』の映画版を観た

原作は4、5年前に読んだので筋は全く覚えていない。

 

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ペンギンハイウェイと聞いて思い出したのは

お姉さんとお姉さんのおっぱいが気になる少年の

ことだけだ。

 

とにかくおっぱいという言葉が頭に残る。

 

ペンギンハイウェイは森見登美彦の書いた

小説で、小説をもとにしたアニメーション映画が

2018年に公開された。

 

そのアニメーションを観た。

 

ちょっと重めの風邪をひいて何をする気もなく

布団の中でIphoneで観た。

 

好きか嫌いかと言われれば好きだが、とてつもなく

好きではない。

 

心に波乱が起きない。

 

そんな作品だ。

 

原作の小説を読んだときも同じように感じた。

 

面白いのだが、どこかうまく入っていけない。

 

個人的には森見登美彦の作品(と言っても読んだの

四畳半神話大系太陽の塔、夜行、夜は短し歩けよ乙女

有頂天家族だけだが)は、登場人物が深掘りされていない

と思う。

 

というか敢えてしてないのか。

 

キャラクターが記号化されすぎていて、うまく感情

移入できないが、それが森見登美彦の作品の味でも

ある気がする。

 

ペンギンハイウェイで言えば主人公である少年

アオヤマ君はどう考えてもこんな少年いないよ

って感じさせる。

 

例えば毎日ノートに自分の様々な研究の記録を

つけたり、チェスをしたり、おっぱいが無性に

気になって冷静におっぱいのなんたるかを追求したり。

 

お姉さんも始終お姉さんで名前が出てこない。

 

村上春樹が小説で語り手に名前がない僕を使うのは

読み手を物語に没入させる効果があると思う。

 

しかしヒロインである女性をお姉さんという

呼び名で通すのは、私にとっては物語から

距離を取られたようで少し残念に感じる。

 

もっとアオヤマくんの目線になってお姉さんの

おっぱいについて真剣に想像を膨らませたかった。

 

純粋な好奇心として。

 

登場人物との距離感という点では映画は違う。

 

実際にキャラクターが絵で動いて、お姉さんは

私の大好きな蒼井優が声をあてていて、

どうしてもお姉さんの異常を信じたくない自分がいた。

 

しかしもう一つの問題は物語があまりにも説明を

省きすぎていること。

 

森見登美彦といえば華麗なるご都合主義が一つの

味だが、それでもペンギンハイウェイではやりすぎ

が否めない。

 

どうしても展開に頭がついていかない。

 

アニメーションになると映像に迫力があって

見所もあるが、それでも置いてけぼりにされる。

 

自然と熱も冷めてくる。

 

面白い映画だと思うんだけど、その辺りが

欲求不満なのだ。

 

でもこれだけ不満が出てくるのに「好きか

嫌いか」と言われれば「好き」というだろう。

 

あまりにも距離があるヒロインへの感情は

通勤電車で毎日見る、名前も知らない美しい

女性を見てる喜びと近い。

 

だからどうしても森見登美彦の作品は読んで

しまうのだ。

 

さて年末だし、図書館に行ってペンギンハイウェイを

借りてこよう。