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朝井まかて 著 「恋歌」

コイウタと書いてレンカと読む。

 

恋歌。

 

歌には形式がある。

 

海外にはソネット、五言律詩など。

 

日本には古来より5・7・5・7・7

の31文字で読む短歌と言うものがある。

 

短歌というと平安の雅な奥の世界というのが

私にはすぐ思い浮かぶ。

 

歌で想いを交わすというのはLINEでインスタント

にメッセージを交わす現代とは違う趣がある。

 

そのような日本の伝統的な文化も明治時代、

脱亜入欧の号令とともに危機に陥った。

 

明治の世風に詳しいわけじゃないが、おそらく短歌

も存続が危ぶまれたのではないか。

 

明治政府の号令で西洋の詩作を研究して、

西洋風の文学を作るのだ、という運動が起きる。

 

想像するのは難しくない。

 

そんな世事の中、短歌の塾を起し、隆盛を

誇った人物がいる。

 

中島歌子という。

 

前置きが長くなったが中島歌子という人物を

描いたのが「恋歌」という小説である。

 

著者は朝井まかて

 

恋歌は直木賞を受賞しているが、朝井まかて

作品は他にも数々の賞を受賞している。

 

では「恋歌」という作品はどういう話なのか。

 

中島歌子の恋と歌の話である。

 

物語は中島歌子の弟子によって語られる。

 

病に伏せている歌子を見舞う、弟子の一人が

歌子の手記を発見するところからはじまる。

 

手記を読み解くような形で、中島歌子の人生が

描かれていく。

 

歌子は1845年に生まれ、幕末の江戸と水戸、そして

明治を生きた。

 

町人の生まれである歌子が、水戸の武士を恋慕い

そして嫁ぐ。

 

時代は激しく移り変わっており、その荒波に必然的に

歌子も飲まれていくことになる。

 

歌子の波乱万丈な人生を描いただけの作品かと

思わせておいて、最後に予想を裏切る着地点が

用意されている。

 

周到に準備されたプロットに唸らされた。

 

読みやすい文体で、ぐいぐいと話に引き込んで

いく語り口に好感が持てる。

 

多分、女性の友人にオススメの小説はないか

と聞かれたら人を選ばずに勧めることが

できるだろう。

エーリッヒ・フロム著『愛するということ』から学ぶ

『愛するということ』は長く積ん読になっていた本だ。

 

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と言っても最近、本は紙で読まないから実際に積んでは

いないのだが。

 

『愛するということ』は本屋の棚で見つけて

長く気になっていた。

 

ある時期、フロイトとかユングなんかの心理学の大御所

の本を続けて読んでいた。

 

当時、心理学関係の書棚を漁ってると結構目立つ位置に

ディスプレイされていてよく目を引いた。

 

ある日、Amazonで面白そうな本を物色していると

最近の傾向からオススメされていて購入した。

 

しかし最初の数ページを読んで挫折していた。

 

僕は執念深い性格があって、これはいつか読むぞ

と心に決めたものは必ず再チャレンジする。

 

そういう性格だから購入した月日を忘れた

今になって読み切った。

 

この本に書かれていることの多くは

愛という言葉の深い考察だ。

 

愛という言葉のイメージを深く分解していく。

 

例えば「異性愛」「母性愛」「自己愛」などを

これでもかって言うほど掘り下げていく。

 

エーリッヒ・フロム(著者)の考察を読んでいけば、

愛には指で数えきれないほどの種類があり、

我々が人それぞれで違った意味で愛を語っている

ことがわかる。

 

フロムの愛についての考察は、愛とは技術である

というところが出発している。

 

どんな技術を身につけるにも知識と練習が必要である。

 

この考えを元に、本書では愛の知識的な部分と

愛の技術をどのように練習するかを書いてある。

 

私が一番関心があったのは愛をどのように練習するか

という点だ。

 

そこで愛に関しても他の技術の習得と同じように

 

・規則正しく練習する

・まとまった時間を取る

・忍耐強くやる

 

のようなよく学校で言われるようなことを書いて

いることに好感を感じた。

 

さて肝心の練習方法はどうかというと、

少し理想論的な感じもする。

 

しかしここまで論理的に愛の練習を語る

人がいたのか、と驚きもするのだ。

 

愛をフィーリングではなく論理で捉えたい

という人がいたらぜひ読んでみるといいだろう。